日々のこと

晴れの日生まれのクリスチャン。晩婚、田舎暮らし、妊娠、流産など。

明日で二週間

明日で二週間。
そして、明日は診察へ。

出血はかなり減ったけど、まだ続いてる。

夕方から腸?が痛かったのだけど、便秘気味だからかなと思ったり。
夕食後は胃が痛くて太田胃散飲んだ。
生理前の胃痛に似てる気がするから、ホルモンの関係か。

今日は午前中にCS教師会に行って、午後からは出産一時金の差額請求の手続きについて問い合わせなど。
出産一時金は約40万円出してもらえて、今回の費用は約32万円だった。
差額の請求は、書類をホームページからダウンロードして、必要な添付書類と一緒に送るらしい。

入院費用が出る医療保険を請求するつもり事前に書類は送ってもらってたけど、今回は請求をしないと連絡をして請求を取り下げてもらった。

昨日は二週間ぶりに仕事へ。
同じ職場の人も流産した時に麻酔を打ったらしいけど、お花畑が見えたとか、なんだか楽しい感じで目覚めたと言っていた。

気分は比較的落ち着いてると思う。
体調も、妊娠中に比べたらいいと思う、
妊娠中もそんなに体調が悪い気はしてなかったけど、今から思うとやっぱり疲れやすかったし、やる気がなかなか出なかった。

入浴解禁になったら温泉でも行きたい。

退院から一週間

昨日で死産の分娩から一週間、今日で退院から一週間。

出血はかなり減ったけど、生理の終わり頃ぐらいの出血がまだ続いてる。

くしゃみや咳をすると下腹部が激痛。

おしっこの時も下腹部が痛かったり。

あとは夕方の胃痛。
昨日と今日は夕食に備えて太田胃散を飲んでみた。
ごはんは食べたい。

どこまでが普通でどこからが異状かわからないけど、耐えられるので様子をみることにする。

昨日は、お見舞いをもらってた伯母たちへお礼の葉書を書いて、靴下と一緒にレターパックで送った。
あと、年末に出産した友だちへのささやかなお祝いも送った。
それから、妊娠の報告をしていた友だちに、結果報告のお手紙も。
これで、妊娠をお知らせしてた全員に、今回のことをお伝えできたはず。

昨日は母からLINEがきて、あれから一週間経ったねと。
そして、飲まず食わずの人の横で弁当を食べたのはあんまりやったな、しかも弁当の匂いを部屋中に充満させて、あれはないよな、的な。
そういう母に救われる。

今日は祈祷会に行こうかとも思ったけど、気が向かなかったので、家で祈ることにした。
人に会うのがしんどい。気がする。
というか、事情を知ってる教会の人に会うのが、今は一番しんどいかも。
そこそこ元気だけど、あんまり元気そうにしてるのもどうかと思うし、暗くしてるのも気を遣わせるし。

そして、私のような人がいた場合、逆の立場だったらどうするのがいいか、どうしてほしいか、とか考えてみたけど、よくわからない。
基本的にはそっとしておいて、話したい時は話を聴くからね、と声をかけておくとか?
祈ってるよと言うのも励まされるかもしれないし、プレッシャーになるかもしれないし。
まあ、人によるか。

今日もWTPのバックナンバーを聴いてみた。
ものわかりのいいクリスチャンについて。
悲しむべき時にきちんと悲しんでるか。
私ってどうなのかな。

CSのメッセージの準備をぼちぼち始めたり、編み物をしたりして過ごした。
CSの奉仕、肉の思いはしんどいなと思ってるけど、休んでしまったら再開のタイミングに悩みそうな気がする。
同じような理由で、若い時に教会を離れるタイミングを失った(結果的に、それでよかったんだけど)。

いろいろぼちぼちと。

人生の休暇週

今週は仕事を休むことにした。

昨日は夫が休みだったので、植物園にでも行って、お寿司食べてくるか、と前から話をしてた。
でも、朝になってみると、植物園は別にいいや…という気分になったので、隣の県まで買い物に行ってきた。

独身の頃に住んでいたところは、職場と家の間にイオンモールがあった。
今(田舎)は近くにイオンモールがないので、イオンモールに行くとなると、ちょっとお出かけな感じになる。

お見舞いをいただいた伯母たちへのお礼を買ったり、ダイソーで細々としたものを買ったり。
起きるのが遅くてお昼にお腹が空かなかったので、遅めにフードコートで銀だこを食べた。
親には、何か美味しいものでも食べに行ったら?と言われてたけど、フードコートでおいしいと思えるのは幸せだと思う。

結婚する前、夕食をその辺で済ませようということがあって、ショッピングセンターのフードコートへ行ったことがある。
スガキヤのラーメンとサラダのセットが半額になっていて、二人でおいしいおいしいと言いながら食べた時、この人となら大丈夫という気持ちになったことを、今でもたまに思い出す。

結局、お寿司も食べることなく、帰りにスーパーで買い物をして、小腹が減ったのでパン屋さんでそれぞれ好きなパンを買って、車の中で食べて帰った。

家に帰ってきて夕食を作って食べた。
夕食後、ものすごくお腹が張って苦しかったので、横になっていたら、夫が食事の片付けをしてくれた。

いつからかわからないけど、右を下にして横向きで寝ると、肋骨の下辺りが痛む。
検索してもこれといった情報が出てこない。
とりあえず、我慢できない痛みではないので、様子をみようと思う。

死産から4日

今日は日曜日。
CSに行く元気が出ないので、CSの奉仕は休んで、礼拝から出席することにした。

体調も悪くないし、がんばれば奉仕はできないこともない。
でも、走り回る子や、メッセージを聴かない子に、言い聞かせたりするのがしんどいので、無理はしないことにした。

不定休の夫が今日は休みで、一緒に礼拝をささげることができてよかった。

以前いた教会で、ある教会員夫妻の娘さん(未信者で、たまに教会に来ていた)が死産を経験して以来、事情を知っている教会の人に会うのが辛くて教会から足が遠のいたことがあった。
その人の気持ちもわかる気がした。
私も、肉の思いとしては、自分の状況を知っている人には会いたくないのが本心だ。

昨日は特にすることもなく、編み物をしたり、ポッドキャストWTPのバックナンバーを聴いたりしていた。
娘さんを失った中村佐知さんの回を再度聴いてみた。
ものわかりのいいクリスチャンという言葉について考えてみたり。

今日は中村佐知さんの続きの回を聴いて、神の前に静まるということがひっかかった。
こういう時にこそ、神様のみことばと静まりが必要。
ということがわかっていながら、できない。

そして、今後のことについても問われている気がする。
来年度以降の仕事のこと。
何か握りしめすぎている気がして、手ばなす必要があるような気がしている。

夫はしきりに前向きに、次は大丈夫、ということを繰り返し私に伝えている。
でも、私はしばらく、少なくとも今は、次の妊娠のためにできることはないので、次の妊娠のことを頭から離したいと夫に伝えた。

子どもはできればほしい。
それは夫も私も同じ気持ち。
でも、今ほしい言葉は、私の存在を肯定する言葉だと思う。
だから、私は夫に、夫がいるだけで満足しているし幸せだと伝えた。

とりあえず今週は仕事を休むことにしているので、心と体を休めつつ、そろそろ神様にがっつり向き合う時なのかなと思ったりもする。

火葬

棺に私たちの何かを入れてないのがさびしい気がして、何かないかなと探してみたけど、一緒に焼けそうなものがなかった。
私たちの髪の毛を入れたらどうかな?と夫に言うと、いいよと言ったので、私は自分の髪の毛を抜き、夫の髪の毛は私がハサミで切った。
もう1度、棺がわりの紙箱を開けて、ふたりの髪の毛を入れた。
帰ってきたらお祈りをしようかと夫が言った。

朝9時から火葬の予約をしていたので、8時40分頃に出発した。
夫と、朝の仕事を終えた義母と一緒に。

火葬場に行って、職員のおじさんに棺の箱を手渡すと、こんなに小さいのかと言われた。
焼香をすすめられたけど断った。
棺が炉の方へ運ばれ、扉が閉められた時には涙が出てきた。

小さいので30分ぐらいで焼けると言われていたけど、30分かからないうちに焼き終わった。
台の上には少しの灰が残っていたけど、ほとんどが紙箱や花の灰だと思う。
でも、灰を集めて容器に入れてもらった。
墓に納めるか、自分たちの手元に置いておくかはまだ決めていない。

帰宅して、夫とふたりで祈ることにした。
夫が先に祈り、私が後に祈った。
私は涙が溢れてきて、なかなか言葉にならなかったが、ゆっくりと祈った。

そして、ふたりでコーヒーを飲んだ。
いろいろな話をした。
話をしているうちに、夫も涙が出ていた。

この地上ではあの子の親にはなれなかったけど、天国では家族になれると思うと希望がある。
辛い思いをすることにはなったけど、それでも、あの子が私たちのところに来てくれてよかった。

退院

夜中は頭痛があったりして、眠れたり眠れなかったりした。
痛み止めをもらおうかなと思ったりもしたけど、前夜のラミナリアの痛みに比べたら耐えられるので、そのまま夜を過ごした。

早めに起きて、トイレに行ったり、着替えをしたりした。
朝食のメニューは、前の入院中にも一度まったく同じ日があったので、デジャブのようだった。
牛乳以外は完食し、牛乳は後で飲むことにした。

8時過ぎに診察に呼ばれた。
子宮の中はきれいになってるので、このまま退院してよいことになった。
次の診察は2週間後ということになった。

そのうちに、ホテルをチェックアウトした母が病室に来た。

今日の担当の看護師さんが挨拶に来て、この後の納棺の準備などの相談をした。
母が、赤ちゃんの写真を撮ってもいいのかと看護師さんに聞いた。
思った以上にきれいな形をしていたので、せめて写真でと母が言ったので涙が出てきた。

9時頃に夫も病室に来たので、赤ちゃんを連れてきてもらった。

小さな箱の中に大切に納めてもらっていた。
きれいにしてもらった後だからか、出てきた時よりも小さく見えた。
でも、目が大きくて、よく見ると手と足に指もあるし、あばら骨も見えていて、しっかりと人間の形になっていた。

少しの間、夫と母と私で赤ちゃんを見たり、写真を撮ったりした。

夫に持ってきてもらった保冷剤を赤ちゃんの下の脱脂綿の下に入れた。
夫が預かってきた義母からの手紙を箱の中に入れてた。
病院で掛けてもらっていた白い布の上に、私が家から持ってきた花柄の布を掛けた。
何枚か布は用意していたけど、男の子なので水色の布にした。

看護師さんが退院後の生活の注意事項の説明をしてくれた。
そして、分娩後は胸が張ることがあるので、それを抑える薬をその場で飲んだ。
1度だけ飲めばいい薬だと言っていた。

荷物をまとめて退院の準備ができたので、病室の確認をしてもらってから病室を出た。
エレベーターのところまで、担当の看護師さんと看護師長さんがお見送りに来てくれた。
今度は違う形でお目にかかれますようにと言ってくれた。

母は帰りのバスまで時間があったので、とりあえず市役所へ行った。
死産届を提出して、火葬の許可書を出してもらった。
火葬は翌日の9時に予約をすることができた。
夫は午後からの出勤にしてもらっていたので、早い時間にしてもらえてよかった。

昼食を食べてから、母を駅まで送った。

ショッピングセンターで買い物をして、棺に入れる花も買った。

帰宅して、夫とコーヒーを飲んだ。

夕食は、同じ家の下の階に住んでいる義父母が一緒に食べようと言ってくれていたので、ごちそうになることにした。
義母は、今回のことは残念ではあるけど、私と家族になれたことをうれしいと言ってくれたので、私もうれしかった。

夕食の後、義父母にも子どもを見てもらった。
かわいいかわいいと言ってもらえてうれしかった。
義父母にも一緒に花を納めてもらった。
そして、義母がお祈りをしてくれた。

生と死が交差する日

分娩の日。

8時すぎに処置室に呼ばれて、1度目の薬を入れてもらった。
昨日からのラミナリアを抜くと痛みがおさまった。

水分は取ってもいいけど、がぶ飲みはしないようにと言われていたので、お茶をちびちび飲んだ。

10時頃には母が病室に来てくれた。

なかなか痛みは訪れず。
軽い生理痛ぐらいの痛みはあるけど、ラミナリアに比べたら無に等しい痛み。

3時間経ったところで、11時に2度目の薬。

少し痛みが増してきたけど、波などはなく、緩やかな右肩上がりな感じ。

昼頃、仕事の合間に夫が様子を見に来てくれた。

また3時間経ったところで、14時に3度目の薬。
子宮口がかたくてなかなか開かないようだった。

15時40分過ぎ、出血した感じがあったのでトイレに行った。
おしっこの後に何かが出た感覚があり、便器の中には塊が落ちていた。
トイレの中からナースコールをして見てもらった。
もしかして出てきた?と思ったけど、血の塊だった。
内診もしてもらうが、子宮口変わらず。
夕方まで様子を見て、変わらないようなら次の手段も考えていると先生が言った。

16時頃、部屋に戻ると痛みが強まってきて、突き上げるような痛みが来た。
そして、何かがはじけた感じがした。
そこから何かが流れ出す感覚があったのでナースコール。
破水したらしく、大きいパッドを当ててもらった。

17時過ぎ、病室に先生が来た。
このまま待ってても出てくる見込みがないので、他の方法を取ろうと考えているとのこと。
分娩室で麻酔をして機械を使って出す方法に切り替えたいが、同意するかの確認をした。
母が所要時間を確認したところ、10~15分の処置で終わるとのことだった。
私は痛みが心配だったが、麻酔で眠っている間に処置は終わると言われた。

準備ができて分娩室に呼ばれたのが18時頃。
先生3人と看護師さん3人がいて、てきぱきと準備が進んだ。
点滴で麻酔の薬を入れますと言ってから何も変化がなかったので、麻酔が効かないうちに処置が始まったら怖いなと思った。
数を数えていきましょうと言われ、いち、に、さん、し、のところまでしか覚えていない。

前回の手術の時は、眠くなって目が覚めたら病室だったので、そんな感じかと思ってた。
だから、目の前がポップでサイケな世界に引き込まれた時には、私は死ぬのかと思った。

おそらく、ピンク色が強かったのは、瞼にかけられたタオルがピンクだったからだと思う。
流れていた音楽も作用したのかもしれない。
現代美術のようにカラフルなルービックキューブの世界へ、ものすごい速さで吸い込まれては展開するようで目がぐるぐるまわった。
その中で、先生が見えたり、夫が見えたり、めまぐるしく景色が変わった。
そのうちに、私は誰なのか、はたして生きているのか、生きてるって何?などと考えて答えがわからないうちにどんどん吸い込まれた。
自分の魂が外側から客観的に見えたり、イエス様が見えたりした。
とにかくスピードがすごかった。
子どもの頃に見た『マッハを超えて』という3D眼鏡をかけて観た映像のような速さと躍動感だった。
麻酔が覚めた時に、過呼吸気味だから吐くことを意識して深呼吸しましょうと言われたのも納得できる。
後で検索してみたら、同じようにサイケな世界に引き込まれた体験がたくさん出てきた。
そのような作用が起こる種類の麻酔があるということがわかった。

麻酔はじんわり覚めてきて、最初は夢の中のような感じだった。
次第に現実の光景として看護師さんが見えてきた。
それでも頭の中は朦朧としていた。
どのぐらいの時間が経ったのかまったく分からなかった。
1日以上経過していて、夫が来ているのではないかと見回したりした。

看護師さんが赤ちゃんを見るかと聞いてくれたので、見せてもらった。
裸眼だったし、意識もはっきりしていない中だったので、ぼんやりとしか見えなかったが、思ったより大きいと思った。
そして、ちゃんと人間の形をしていた。
男の子か女の子かわかりますか?と看護師さんに聞くと、ちいちゃいおちんちんがあるみたいだから、男の子かなと教えてくれた。

看護師さんに、お母さん呼びますか?と聞かれて、お願いしますと答えたと思う。
お母さんも赤ちゃん見るかと聞かれたけど、どっちでもいいと思いますと答えた気がする。
母が分娩室に来た後、看護師さんが母に赤ちゃんを見るかとたずねた。
母は見せてくださいと答えたので、私はなんだかうれしかった。

少し休んでくださいと言い、お医者さんと看護師さんはどこかへ行った。
母に時間を聞くと、そんなに時間が経ってないことがわかった。
私は母に、赤ちゃんの大きさどれぐらいだった?と聞いたら、8センチぐらいじゃないかなと言っていた。
(翌日いただいた診断書を見ると、確かに8センチと書いてあった。)

そして、母に、夫に連絡してくれた?と聞いたら、まだだったようで、夫にLINEをしてくれた。

母が手さげのポリ袋を持っていたので、何持ってるの?と聞いたら、それは私の夕食だった。
すでに夕食の時間を過ぎていて、もう私の夕食は用意されていないので、お医者さんが母にまだ売店は開いているので買ってきてあげるようにと言ってくれたらしい。

吐き気がして、唾液腺から唾液がたくさん出てきたので焦った。
心拍を取っている機械の音も早くなった。
でも、深呼吸をしていると落ち着いてきた。

しばらくすると、腹痛と出血が流れた感覚があったので、ナースコールを押した。
看護師さんにそれを伝えると、その腹痛はあった方がいい腹痛だと言っていて、出血の具合も確認してくれた。
そして、意識がはっきりしてきたので、車椅子に乗せてもらって病室へ戻った。
私と入れ替わりのタイミングで、陣痛に苦しんでいる妊婦さんが分娩室に入ってきた。
まだフラフラするので、最初にトイレに行くときはナースコールを押すように言われた。

病室に戻ると、母は買ってきた夕食をテーブルに並べてくれた。
パン2つと、いちご1パック。
なんと、全部でぴったり1000円だったので、売店の店員さんが拍手してくれたと言っていた。
パンはまだ食べると気持ち悪くなりそうだったので、いちごを食べると言うと、母が病室の水道でいちごを洗って、ヘタを取って渡してくれた。
とてもおいしかった。

母は分娩室に呼ばれた時、まだ私の意識が完全には戻ってないので、その状態で話しかけると混乱するかもしれないと看護師さんに言われてたらしい。
だから、話しかけたらあかんと思ってできるだけ黙ってたんやでと言った。

母がホテルへ帰って行った後、少し落ち着いたのでナースコールを押してトイレに行った。
担当の看護師さんは出産にかかっていたので、別の看護師さんが付き添ってくれた。
そして、パッドは回収するので、トイレから出るときにまたナースコールを押すようにと言われた。

病室に戻って、母が買ってきてくれたパンを1つ食べた。
もう1つ食べられそうだったけど、やめておいた。

母は、私の流産を聞いた時、そっちに行こうかと言ってくれたけど、私は断った。
わざわざ遠いところ来てもらうと大ごとな気がしてしまうから。
母の顔を見たら泣いてしまうから。
でも、母は自分が勝手に行くならいいでしょ?と言って来てくれた。
来てもらって本当によかった。
母にそう伝えると、母も、来てよかったと言ってくれた。

分娩室で意識がふわふわしながら、お母さんの誕生日にこんなことになるなんてな、と私は言った。
母が生まれたのと同じ日に、もう死んでいる子どもに会うことになったのは、なんか不思議な気がした。